子どもが生まれる前。
僕は、妊娠期間というものを、もっと穏やかで、
「生まれてくるのが楽しみだね」と笑い合いながら過ごしていく時間だと思っていた。
まるで当たり前のように問題なく日々が過ぎ、
特に何もなく、無事に生まれてくる。
そんな前提を、疑いもしなかった。
けれど、助産師であるパートナーから聞かされたのは、
その“当たり前”が決して当たり前ではないという現実だった。
胎盤早期剥離で母子ともに緊急事態になることがあること。
出産時の大量出血が命に関わることがあること。
妊娠中に赤ちゃんの心拍が突然落ちることもあること。
妊娠や出産は、“本当に”奇跡の連続で成り立っていること。
そしてそのすぐ隣に、常に危うさがあるということ。
さらに、こう問いかけられた。
「もし、生まれてくる子に障害があったらどうする?」
「もし出産で何かあったら、あなたはどうする?」
「そのとき、この家族をどう支える?」
答えを試されているというより、
逃げずに考えることを求められていたのだと思う。
そしてその頃、ふとこんな感覚がよぎった。
――ああ、これはマンガやドラマの主人公の話じゃない。
考えて、悩んで、決めて、行動する主人公は「自分」なんだ。
それまでどこかで、
“誰かの物語”のように眺めていたのかもしれない。
でもこのとき初めて、
自分が当事者として物語の中に立っていることを実感した。
それまでの人生で、
“命について、自分の立場で考える”経験はほとんどなかった。
だから、すぐに言葉にはできなかった。
考えて、悩んで、また考えて――その繰り返しだった。
妊娠期間中、世の中の多くの家庭がどこまでこうした話をしているのかは分からない。
ただ、わが家では、現実から目を逸らさない時間が確かにあった。
結果として、
あの時間は「父親になる心構え」というよりも、
家族として生きていく覚悟を少しずつ形にしていく時間だったのだと思う。
当時は、その重さに戸惑うこともあった。
けれど今振り返ると、
命を迎えるということの意味を、初めて“自分で”考えた、大切な時間だった。

